カジノ考

 2018年6月15日、特定複合観光施設区域整備法案(通称カジノ法案)が衆議院内閣委員会を通過しました。このニュースを受けて、昔読んだ小説を思い出しました。

 

 長野慶太「県営カジノを立て直せ!」(ISBN:9784093863971)は、特区としてカジノの開設が認められている仮想の県を舞台とした物語です。主人公はラスベガスのカジノでマネージャーの経験もある銀行マンです。経営責任者として県営カジノに出向してきます。

 主人公のもとへは毎月のように幼い子供が差出人と思われる手紙が送り付けられてきます。「両親がギャンブル依存症となり家庭が崩壊した。両親を返して欲しい」といった内容です。そのような傷ましい手紙を、主人公は『社会コスト』と切って捨てます。ごく最近まで日本では交通事故で年間1万人もの方が亡くなっていました。だからといって自動車なんか無くしてしまおうと考える人はいません。それは自動車が相応のベネフィット(利益)をもたらすから、年間1万人の社会コストを支払うのは仕方がないと考えるからです。同様に、カジノも多大な恩恵をもたらすので、ある程度の費用は必要だと考えるということなのでしょう。このように主人公は相当過激なカジノ推進派です。そんな主人公が、物語終盤では「この国にカジノは根付かない」と失意のうちに県営カジノを去ってゆきます。

 日本のどんな風土がカジノにそぐわないというのでしょうか。例を3つ示します。

 

1)壁や柱に貼られる標語ポスター

「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」ではありませんが、「家庭のため賭け過ぎに注意しましょう」といった標語ポスターを、県庁の指導により入口やプレイルームの随所に掲げることになってしまいます。カジノというのは一種の異空間を演出して楽しむ施設です。そんな中に日常を想起させるポスターなんかは興覚めです。言っておきますが、興を削がれるのはギャンブル依存症になった日本人客ではありませんよ。依存症の人には、そんなポスターは目に入りません。醒めてしまうのはアラブやヨーロッパの大富豪たちです。そして彼らはクレームを告げるでもなく、黙ってマカオシンガポールへと河岸を換えていってしまうのです。

 

2)蔓延するイカサマ

厳しいディーラーの目をかいくぐり、芸術的な不正カード交換などの手技を繰り広げるイカサマ師は、イリーガルな印象とともに一種のリスペクトの対象となっています。「ゴト師」を扱ったコミックや映画が存在するということは、イカサマを尊崇の対象として人が少なからずいる証拠と言えるでしょう。しかし、誰かが不正に儲けているのならば、真面目にプレイしている自分は必ず損しているということです。海外のカジノでは、胴元のイカサマは当然ですが、不正をはたらく客が出入りしているらしいといった噂が広まっただけで、その賭場にはまともな客が寄り付かなくなるそうです。ですからカジノは必死になってイカサマを根絶しようと努力します。

しかし先述のような心理が働き、主人公たちの県営カジノでは、イカサマを取り締まるスキルもモチベーションも一向に醸成されません。

 

3)林立する天下り法人

プレイルームの清掃は○○カジノメンテナンス(株)、ガードマンは○○カジノ警備保障(株)、駐車場運営は(株)○○パーキング、食事の提供は○○リゾートケータリングサービス、隣接するホテルのシーツ交換・クリーニングは○○リゾートリネン(株)といった具合にファミリー企業が設立されています。それぞれの会社は特に何をするわけでもなく、ただピンハネしているだけです。

主人公はカジノの業績を向上させるために、これらのピンハネ企業を通さず直接大手警備会社などと契約して経費削減を図ろうとします。ところがピンハネ企業は県条例などで保護されていて必ず○○カジノ警備保障(株)を通さないと発注できないといった仕組みになっているのです。主人公たちは条例の改正を求めて県議会と交渉しますが、与野党間のたらい回しに遭って、なかなか事が進みません。

 

これらの例は全て架空の話です。しかし現在の役所主導型事業の実態を思い起こせば、いかにも有り得そうな話ばかりではないでしょうか。そして、その根底に共通するのは「だって俺の金じゃないもん!税金だもん」という無責任さなのです。

私はカジノは要らないと考えています。自分や身内がギャンブル依存症になったり、被害に遭ったりしたら怖いですから。しかし、そのような個人的な考えを横に置いたとしても、そもそも「日本的なカジノ」あるいは「日本のお役所的なカジノ」には、経済を活性化させることはできないんじゃないでしょうか。