金閣寺

有名な三島由紀夫(1956)「金閣寺」を読みました。

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金閣寺京都市北区にある鹿苑寺という寺院のことで、再建後の現在はユネスコ世界遺産古都京都の文化財」の構成要素ともなっています。この文章では金閣と統一して表記することとします。

 

主人公「溝口」には幼少期から吃音の障害がありました。父親から「金閣ほど美しいものはない」と教えられて育てられました。

昭和19年、溝口は父の友人でもあった金閣の住職に引き取られ門弟となります。門弟となって間もなく「鶴川」という裕福で人格者の友人ができます。

昭和22年春、溝口は住職の勧めで大谷大学へ進学し仏教を本格的に勉強します。当初は84人中24番と平均以上には優秀な学生でした。大学では足に障害を持つ「柏木」という友人ができます。柏木は大変なプレイボーイでした。ある日、溝口と柏木、「柏木の彼女」と元彼女の「下宿屋の娘」の4人でダブルデートをします。柏木と彼女は、はじめからイチャイチャしっぱなしなのですが、やがて溝口と下宿屋の娘もそれらしい雰囲気となります。いざ事を!となった瞬間、溝口は金閣の幻影に包まれ事を仕損じてしまいます。この日、鶴川の自殺の報せが寺へ届きます。以後、溝口は金閣の幻影に悩まされ続けることになります。

昭和24年正月、溝口は住職が芸妓と密会している現場を目撃してしまいます。のみならず不本意ながら逢瀬を追跡する形となってしまいます。翌日住職からの叱責を覚悟した溝口ですが、何日たっても住職からは何の反応も有りません。そこで溝口は当の芸妓の写真を店で購入し、住職に送りつけます。さすがに叱責されるかと思っていたのですが、住職は黙って溝口の机の引き出しに写真を返却するだけでした。

このころを境に溝口は大学を本格的にさぼりはじめ、成績が急速に悪化して行きます。そして昭和24年11月、ついに住職から「寺の跡継ぎにすることはできない」と申し渡されます。溝口は柏木から金を借りて舞鶴へ出奔します。そして旅先で金閣への放火を決意するのです。

溝口が金閣が燃える様を想像した心象風景描写を引用します。

金閣が焼けたら…、金閣が焼けたら、こいつらの世界は変貌し、生活の金科玉条はくつがえされ、列車時刻表は混乱し、こいつらの法律は無効になるだらう」

溝口は家出から金閣に戻った後、昭和25年3月、大学3年次を79人中79番で終了します。

昭和25年6月、柏木は住職に借金の返済を迫ります。住職は次同じことをすれば、溝口を寺から放逐するとほのめかします。それにも関わらず5日後、住職は新年度の授業料を溝口に手ずから渡します。溝口は、その授業料を持って悪所に向かい、金閣の幻影に惑わされずに初めて事を成し遂げます。

昭和25年7月2日早朝、溝口は金閣に火を放ちます。自らは3階「究竟頂」で死のうと考えます。しかし、究竟頂の扉は開きません。金閣に拒まれていると感じた溝口は一転火を掻い潜り遁走します。左大文字山頂まで逃げた溝口はタバコを一服吸いながら「生きよう」と思うのでした。

 

今日は令和3年7月18日。2年前のこの日、現代の国宝とも言える「京都アニメーション」に火が放たれ、損なわれました。