中国の民主化について

 安田峰俊(2011)「中国・電脳大国の嘘 『ネット世論』に騙されてはいけない」 ( ISBN:9784163747408 ) を読みました。少し古い本なのでリアルタイムの中国情勢にはそぐわないのかも知れませんが、中から幾つかの引用と考察を加えます。

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もうすこし直接的に(中国の歴史の時代区分を二つに分けて)語るならー。

1.(人民が)奴隷になりたくてもなれない時代。

2.(人民が)しばらくは安心して奴隷でいられる時代。

この両者の循環こそ、いわゆる孟子様のおっしゃる”一治一乱”である(略)。とにかく、復古主義者も戦争からの避難民も、智者か愚者か、見識ある者か未熟者かを問わず、みな300年前の太平の御代ーすなわち「しばらくは安心して奴隷でいられる時代」に憧れてやまぬようである。

魯迅著「灯下漫笔」(安田訳)

 この前後で安田は孫文(1866~1925)や韓寒(1982~ )をはじめとした1903年から2010年までに発表された8人の中国著名人の言葉を引用し、100年以上の間、時代背景や為政者の違いは有れど、皆同じことを言っていると指摘しています。すなわち、中国人が「みずから喜んで奴隷となる性質」を持ついう点です。著書では「奴隷」「愚民」「バカ」といった過激な言葉が並びますが、私は中国人が愚かとは思いません。彼らが高い教育水準・知的水準を持っていることをよく知っています。おそらく著者安田もそうでしょう。私は「愚」という文字を英訳するにあたっては「fool」ではなく「innocence(無垢な)」と言葉を充てるのが適当ではないかと考えます。innocenceが言い過ぎなら「irresponsibile(無責任な)」でしょうか。14億の国民の人生に対して責任を持ちたがる人なんて、そうそう居ないでしょうから、私は愚民であって当然なのだと思います。

 安田は「民」「官」「文」の中国的三権分立にも触れながら、中国では(仮に)現政権の転覆が実現したとしても、その後また同様の国家が樹立されるだろうと予測します。

 農民工少数民族、環境など個別の問題・不満について徐々に解決しながら、大枠で現政権を支持したいと多くの国民が望んでいるのならば、それはそれで、ある意味民主的な状態にあると言えるのではないだろうか。そのような事を考えさせられた一冊でした。